温泉、湖、社寺に杉。遊びきれない日光市

温泉、湖、社寺に杉。遊びきれない日光市

明治より外国との交流が盛んな景勝地

日光市といえば全国的に知られるリゾート地であり、「日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)」をはじめ、その門前町の古くからの賑わい、ギネスブックにも認定された世界一長い杉並木道、表情豊かな奇形がもたらす様々な景勝地と、その観光地としての魅力は枚挙にいとまがありません。そして日光市の市街の大きな特徴として、洋風の建物が非常に多いことが挙げられます。これは明治以降国交が特に盛んに行われた土地ゆえの特徴で、「栃木の日光」が特別に外国人観光客に人気を博している理由には歴史的背景も深くかかわっているのです。

かつて日本では「鎖国(さこく)」と称される対外政策がとられていました。他国との交流や貿易を制限するというこの政策は、公式に「鎖国」という名称で打ち出されていたわけではありません。「鎖国」というのはのちの世になってから使われ始めた言葉で、かつての閉鎖的であった日本の性格を表現するために用いられた非公式の呼称です。一般に「鎖国」は1639年から1854年までの期間のことを指し、おおむね江戸時代の期間と重なっています。しかし江戸時代が終わって幕末、明治の世が訪れるごとに、この長年の鎖国による国力の衰えが無視できない深刻な問題になってゆきました。「黒船来航」によって「開国」を余儀なくされた日本はその際に数々の不平等な条約を結ばざるを得ませんでしたが、それも国力で劣るが故のやむを得ない譲歩でした。そこでそののち、日本は外国との貿易、交流により国力を増強することを急務としていきます。その先駆けとして多くの外国人を受け入れた土地が、この日光市なのです。当時から積極的に外国人を誘致したというわけではないのですが、日光の地に広がる美しい景観が話題を呼び、その評判が異国の地に広く知れ渡り、渡航者が相次ぎました。そういった背景から、今でも日光には大規模なホテルや大使館などの、国交に関する重要な施設が数多く置かれています。

避暑地として大人気。標高1,200mの湖とは

日光市の観光地としてのスポットは二種類に大分することができます。社寺などの歴史的建造物を筆頭とした人口施設と、豊かな自然が生み出す地形的景勝地です。「中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)」は後者の中で特に栃木県を代表する名所として知られています。日光市の日光国立公園内、非常に標高の高い場所に位置する巨大な湖であり、同規模以上の湖の中では日本で最も高所にあるとされています。その形成は2万年前までさかのぼり、「男体山(なんたいさん)」の火山噴火によって生まれたとされています。栃木県最大の湖であり、かつては神々や仏を信仰の対象とした修行の場とされていました。それゆえ神仏に関する様々な伝承が残り、伝承に由来する多くの祠などが散見される土地でもあります。湖の北には美しい左右対称の裾野を広げる「男体山」がそびえており、その景観に花を添えています。男体山は『日本百名山』にも指定される火山で、この地の山岳信仰の中心的な役割も果たしています。栃木県に伝わる神仏や土着信仰にまつわる歴史背景に興味がある人にとっては、この男体山という存在はほとんど最初に把握すべき重要なものとなるでしょう。

中禅寺湖の北西には広大な湿原「戦場ヶ原(せんじょうがはら)」が広がります。この400ヘクタールに及ぶ大湿原もまた非常な景勝地として多くの観光客に人気のスポットであり、「奥日光の湿原」という異名でラムサール条約に登録されています。――ラムサール条約とは世界の湿地の保存を目的とする国際的な条約です。この戦場ヶ原という名前の由来は、かつて山の神々がこの地で戦争を繰り広げたという伝承に基づいています。

中禅寺湖を中心として広がる日光連山の名スポット

日光連山(にっこうれんざん)は日光市の大自然を形成する中核的山塊の総称で、よく使われる単語ではありますが、そういった名前の山が存在するわけではありません。主に男体山(なんたいさん)、太郎山(たろうさん)、女峰山(にょほうさん)などの山々からなり、日光連山に含まれる多くの山が日本百名山に指定される名山です。特に男体山はもともと「二荒山(にこうさん)」と呼ばれており、それが訛って日光山となり、周囲一帯の地名となっていった歴史を持ちます。名実ともにこの地のシンボル的存在と言ってよいでしょう。

非常に広範囲に広がる日本有数の高原地帯ですが、登山が目的でない人々にとっては、この地で訪れる場所はある程度絞られてくるでしょう。景勝地としては周囲に宿泊施設も整った中禅寺湖を中心に、戦場ヶ原(せんじょうがはら)は位置関係からも訪れやすいでしょう。その名前の由来となった伝承は古く、一般に全国の神社などで見聞する日本書紀や古事記の神々よりさらに以前の土着の山岳信仰に基づいています。今の男体山に当たる二荒山を擬人化した
二荒神と、赤城山の赤城神が死闘を繰り広げた地であると伝わっています。両者はそれぞれ大蛇と大ムカデに化けて戦い、勝ったのは大蛇に化けて戦った二荒神であったといいます。戦場ヶ原の命名がこういった伝承に由来するといった説のほかにも、非常に広大な湿原であることから「千畳が原」、これが転じて戦場ヶ原となったという異説もあります。

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