奈良に古より伝わる伝承の起源とゆくえ

奈良に古より伝わる伝承の起源とゆくえ

吉野山の桜のはじまりは?

「吉野山」に桜が植えられ始めたのは平安時代頃からとされています。ではどうして吉野山に桜なのでしょうか。まず、吉野山は平安時代よりさらに古くから霊場として崇められており、修験道の僧がこの地で修行を積むことで悟りを得て、僧の前に「金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)」が現れたといいます。僧はその菩薩を模して彫像を彫るのですが、その際に使われた材木は桜の木でした。こういった伝承からこの地では今に至るまで金剛蔵王菩薩信仰が強く根付き、僧の仲間や弟子たちも真似て、桜の木から彫像を数多く掘り出してゆきました。まもなく桜は金剛蔵王菩薩の象徴的神木であるとみなされ、彫像が多く作られながら信仰が深まる傍ら、その材木となる桜の植樹も行われてきました。

神木として考えられるようになったこの地の桜は、枝一本折ることも許されないほど丁重に扱われ、長い時間をかけて順調に数を増やしていきました。桜の枝を一本折った者は、その指を一本切り取らなければならないという戒律が実際にあり、これが固く守られていたのです。平安時代にはこの地で最も力の強い仏であると考えられるようになっていた蔵王権現(ざおうごんげん)――つまり金剛蔵王菩薩ですが、権力者がこれに祈願する際には桜の木を寄贈することが習わしとなっていました。このような風習もあって、吉野山の桜はさらにその数を増していくようになります。

「蔵王権現」は今現在も金峯山寺(きんぷせんじ)本堂に本尊として祀られる有名な菩薩です。その像は非常に激しい表情で参拝客を見下し、睨み付けるように立ち、髪は逆立ち(怒髪天を衝き)、右手と右足を高く上げた、猛々しい動きのある姿です。権現とは仮の姿で現れた抽象的な神や仏のことを意味しており、その正体はあらゆる仏や菩薩の力を有する全知全能の存在であるといいます。

神々の住む場所、高天原は奈良県にあり?

「高天原(たかまがはら)」といえば日本書紀や古事記などで語られる日本神話の重要なキーワードです。日本神話の中では世界は三つの国に分かれています。すなわち、人間の住まうこの日本という国土「中つ国」、そして死者の住まう「黄泉の国」、そして神々の住まう天上、「高天原」です。神話における高天原とはあくまで神々のおわす天上世界であり、地上にある地名ではありません。しかし日本神話は創作の物語とはいえ、その中にはモデルとなった人物や実在の地名が多く登場します。日本の国土の成り立ちを描いた物語なのですから当然といえば当然ですが、高天原もまた、その描写に際して参考とした実在の土地があるのではないか、という説が特に奈良の地には根強く残っています。奈良県の御所(ごせ)市に、金剛山(こんごうさん)という山があります。かつてこの山は、高天山(たかまやま)と呼ばれていました。この山こそが「高天原」のモデルとなったのではないか、といわれています。

金剛山が高天原のモデルだとする根拠は、一言で言ってしまえば地名が似ているからでしょう。高天原のモデルではないかという土地は日本全国にあり、各地でなんとかその場所の名を売り観光地として集客を図ろうという動きがあるのは事実です。しかし、日本神話が創作であることを皆が理解している今でこそ「モデル」という言葉を用いて冷静に論じることができますが、ひとむかし前までは人々のあいだで神話と現実の境目は限りなく薄く、地上の高天原も、神話に登場する高天原と同一であるとして、日本全土がその捜索に躍起になっていた時期があったのも事実です。余談ですが、奈良県の金剛山近辺は、高天原のモデルうんぬんは別にしても、荘厳な神社仏閣、遺跡が多く、その自然の景観も優れており、『日本の美しい歩きたくなるみち500選』に登録されています。

三輪山の名前の由来とは

「三輪山(みわやま)」は桜井市にあるなだらかな裾野をきれいに広げる山です。地元の人々には三諸山(みもろやま)とも呼ばれています。この山は現在のどかな土地にひっそりと佇んでおり、観光地としての性質をあまり帯びていません。しかしながら、三輪山は歴史上土地の人々に強く崇拝されてきた山であり、また非常に重要な文化財を擁する山でもあります。三輪山はとても古い時代、それこそ縄文時代末期ごろの話になりますが、その頃から人々にとって信仰の対象でした。当時の信仰はまだ原始的で体系化されておらず、「何々という神」が住んでいて、重んじなければならない、といった概念ではなく、もっと漠然とした、自然界全体に向けての畏敬の念だったと言われています。それが三輪山という美しい、土地のランドマーク的な山に自然に向けられていったのでしょう。そうした経緯により、のちにはこの山に多くの古墳が築かれ、やがては今の日本の原型となったヤマト政権の王朝が据えられ、当時の日本の中心地となりました。その後の歴史上でも天皇を埋葬したとされる大きな古墳が数多く作られ、また、かの有名な「卑弥呼」もこの地に葬られたとする説が存在します。

縄文時代から続く途方もない紆余曲折を経て、今現在の三輪山はといえば、神の住まう神聖な土地として、その立ち入りにも許可が必要になっています。――三輪山の名前の由来には、こんな言い伝えがあります。かつての三輪山のふもとには「活玉依姫(いくたまよりひめ)」という美しい姫が住んでおり、その姫の元に毎夜通い詰めた素性の知れぬ若い男がいました。男の素性を知るために、ある晩姫は男の着物の裾に糸を結わえつけて帰しました。夜が明けてみると、その糸は三輪山の神の社まで続いていて、姫の手元には三勾(みわ)が残ったといいます。これが三輪山の名前の由来とされています。

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