薩摩を生きた偉人たちの遍歴をたどる

薩摩を生きた偉人たちの遍歴をたどる

西郷隆盛という人について今一度!

江戸城無血開城、明治新政府樹立など、明治維新の時代に最大級の功績を多く残した「西郷隆盛(さいごう たかもり)」は、鹿児島の人々から今なお「西郷どん」という名で親しまれています。とはいえ歴史は移り変わり、彼の偉大な功績についても若者のあいだでの知識は少しづつ薄れているようです。鹿児島には西郷隆盛の子孫も健在で、元気に「西郷隆盛銅像」の近くのカフェを経営しているといいます。この銅像を訪ねる前に、彼にまつわる基本的なことから今一度学びなおしてみましょう。

「西郷隆盛」は鹿児島県鹿児島市(旧薩摩国薩摩藩)で1828年に生まれ、1877年に自刀によってその壮絶な人生の幕を下ろした武士であり、軍人であり、そして日本の明治維新に大きく助力した政治家です。元は薩摩藩の下級武士であった西郷隆盛は、薩摩藩主の島津斉彬の目にとまり、そこから大きく出世していきます。斉彬の急死を機に時の権力者から流刑を課せられますが、復帰してのちの軍事的武勇によって脚光を浴びるようになりました。江戸幕府との決着を機に薩摩に帰郷した西郷隆盛は新政府に参加し、陸軍大将を務めるようになります。この陸軍大将としての姿こそが「西郷隆盛銅像」におけるもので、その凛々しい制服姿は人々の目に強く焼き付いています。その後西南戦争の指導者となるも、敗れて城山で自決しています。

鹿児島市城山町にある西郷隆盛銅像の彼が着る制服は、日本で初めての陸軍大将の制服です。軍事的指導者の鏡として今なお尊敬厚く、「維新の三傑」として伝説に残り続けることでしょう。

大久保利通という人について今一度!

大久保利通(おおくぼとしみち)は幕末から明治初期にかけて活躍した武士、のちの政治家で、木戸孝允(きど たかよし)、西郷隆盛(さいごう たかもり)と共に「明治維新の三傑」と称される人物です。生まれは薩摩国――今の鹿児島で、藩士の家に生まれ、下級藩士としてその一生の幕を開けました。西郷隆盛とは藩校と呼ばれる学校で知り合い、共に学問を学びながら同志となりました。藩校の中では抜きんでて学術に秀でていたといいます。やがて藩で働くようになり、徐々に藩主の評価を勝ち得て出世します。のちに薩摩藩全体を動かして、西郷隆盛らとともに討幕運動を進める中心的人物となりました。明治になると内務卿の役職に就き、日本の近代化に助力しました。

現在、鹿児島市西千石町で「大久保利通銅像」を見ることができます。没後100年を記念して製作されたもので、すっかり西洋風のしゃれた出で立ちコートを翻すその堂々たる姿には見惚れてしまいます。生前の人柄は極めて寡黙で威厳に満ち溢れ、彼に意見できる人物はほとんどいなかったといわれています。人柄の点では同じ時代に生きた西郷隆盛と対照されることが多く、豪胆で賑わいを好んだ西郷隆盛と、静かに日本の明日を見据えて大声を出そうとしなかった大久保利通、この二人のタッグが討幕を成し遂げたというのですから、結果から見れば互いの凹凸がぴたりとはまった最良のパートナーであったようです。その生涯は暗殺によって幕を閉じましたが、彼の死後には多額の借金が残ったといいます。それというのも、大久保利通は金銭面で非常に潔癖で財を蓄えず、国の借金を私財で賄っていたというのです。それゆえの借金だったことを国も債権者も理解していたため、遺族に借金の返済を求めませんでした。

天璋院篤姫という人について今一度!

天璋院篤姫(てんしょういん あつひめ)といえば大河ドラマ『篤姫』で一躍その名が有名になりましたが、彼女もまた幕末の偉人の一人に数えられ、西郷隆盛や大久保利通のような「維新の三傑」ではありませんが、別枠で「維新の十傑」に数えられています。天璋院篤姫は今和泉島津(いまいずみしまづ)の家に生まれ、藩主島津斉彬の養女となり、やがて第十三代将軍の徳川家定(いえさだ)に嫁ぎました。家定が僅か一年半で死去して以来も徳川家の立場を貫いて徳川の養育に務めました。西郷隆盛、大久保利通らによって実現した討幕、江戸城無血開城は天璋院篤姫の助力なしにはなしえなかったといいます。薩摩島津に端を発しながらも江戸に嫁ぎ、島津らの手によって倒された徳川を生涯見守り続け、一度嫁いだ先の家を裏切ることのなかった彼女の生き様は今でも多くの女性に勇気を与えています。

天璋院篤姫ゆかりの地としては、鹿児島市の指宿氏が挙げられます。現在の今和泉小学校は天璋院篤姫が幼少期に過ごしたといわれる今和泉島津家の別邸があったところで、屋敷の石垣や松林などが残されています。またその周辺には島津の家にまつわる様々な遺跡が残されていて、大河ドラマ『篤姫』のファンの人々にとっては一日中楽しめる観光スポットです。彼女は非常な愛犬家として知られ、しかし夫の家定が犬嫌いであったため、猫を飼うようになったと言います。街を歩いていると、ペットショップなどでそういった関連の広告を目にする機会があるでしょう。また、天璋院篤姫は日本で最初にミシンを扱った人物とも言われています。ペリー提督から譲り受けたミシンだったのだとか。

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