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まるで異世界、世界遺産登録もされた軍艦島
▼軍艦島の名で知られる端島とは?
廃墟、廃工場、廃れた土地というものには、不思議な魅力とロマンがありますよね。
錆びれた家、腐敗した柵、蔦だらけの壁、人の住んでいた跡…人によってはその静けさが、怖さに感じるという人もいるのかもしれません。
ここ端島は、長崎県にある「島」です。江戸時代後期である1810年頃石炭が発見され、佐賀藩が小規模ではあるが採炭を行っていました。そして明治から昭和にかけて海底炭鉱によって本格的に栄え、人口も増加。最盛期には5000人以上の人々が島に住み、当時の人口密度は東京のなんと9倍以上。
軍艦島の多くが鉱場であり居住地がとても狭かったため、人口が増えれば増えるほどどう居住空間を確保するのかと工夫が凝らされた結果、3階建てや4階建ての木造長屋や5階建てアパートが作られた。様々な構造が試されたのち、1916年には日本初の鉄筋コンクリート造アパートが建設されました。
前例がなくはじめての建築だったこともあり、屋上に排水溝がないため大雨の時は会談が洪水で滝のようになる、雨水が戸袋を伝って室内の侵入するなどの欠陥も見られたそうです。
また、島の周囲を6回にわたり埋め立て拡張した結果、初期の島から3倍もの面積に広がり、現在の軍艦島の形になりました。
しかしエネルギー革命がおこり需要が石炭から石油へと変わると、それに伴い人口も減少していきました。昭和49年、ついに鉱山が閉鎖されるとともに島民は島から離れ、無人島と化しました。
▼軍艦島の魅力
軍艦島の魅力は何と言ってもその非日常さにあります。
元々人が住んでいた形跡が残る風景には、自分が暮らしている世界ではないような感覚に陥ること間違いありません。
以前は日本の中でも近代化が進んでおり最先端を進んでいた軍艦島、変わり果てた姿を目にするのは物悲しさも感じられます。
学校では授業が行われていた形跡があったり、給食の献立や名札が棄てられ、現在とは形の違うミシンが錆びれ、鍵盤の抜けたオルガンが置かれている。体育館の屋根はなく、もはや骨組みだけの形に。
高層アパートの中にも生活感は残されており、ちゃぶ台や生活用品が無造作に残され、まるで昔端島に住んでいた人々の生活の様子が見えるかのよう。
他にも階段だけ残された建物の姿や、亡くなった人はどこに埋葬されたのか気になってしまうような慰霊碑など、様々な切なさを感じさせてくれるものが見渡せば見渡すほどあるのです。
現実と離れ、非日常を味わえる軍艦島。
ぜひ1度訪れて、その切ない感覚を味わってみてください。
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