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宮本武蔵ゆかりの洞窟、霊巌洞
▼宮本武蔵と霊巌洞
2003年に放映されたNHK大河ドラマ武蔵によって宮本武蔵ブームが起こり、宮本武蔵が晩年を過ごしたと言われている熊本県は
そのブームにあやかり各所の宮本武蔵ゆかりの地を巡るツアーが組まれ、霊巌洞にも沢山の人が来訪しました。
南北朝の時代に日本へ渡来してきた曹洞宗の東陵永與が熊本市西部金峰山のふもとに雲巌禅寺を築きあげ、その雲巌禅寺の境内にある
洞窟が霊巌洞と呼ばれ、宮本武蔵がこの洞窟に籠って兵法の極意書である五輪書を著したと知れ渡っています。
雲巌禅寺境内は宮本武蔵ゆかりの地だけではなく、洞内の岩戸観音、謡曲である桧垣によりその名を広めています。
雲巌禅寺の奥にある五百羅漢と雲巌洞がある境内からは、拝観料を払って見ることが可能です。
入場場所には宮本武蔵の肖像画や、巌流島で佐々木小次郎と一戦を交えた際に使用された木剣が飾られています。
その後少し歩けば見えてくる大きな岩盤の上には200年以上前に熊本の商人によって奉納された五百羅漢が見ることがきます。
境内の小道を最奥まで進むと雲巌洞があり、その洞窟内は拝観しやすい木床となっている。
岩戸観音が安置される拝殿や、東陵永與の手により雲巌洞と刻まれた岩肌なども見ることができます。
宮本武蔵がここ霊巌洞に籠もり、五輪書を書き始めたのは1643年の秋で、その僅か2年後の1645年に宮本武蔵は病により熊本城内で
62歳で生涯を閉じたのでした。
▼宮本武蔵が記した五輪書
霊巌洞で執筆されたとされる五輪書の原本は焼失したと伝えられており、その写本は細川家本や底本不明の劍道祕要収録などがあるが、
自筆本が現存せず写本間での相違も多く、宮本武蔵の生存していた時代よりも後の価値観に基づいた記述が多いこと、そして同年代の
文献に宮本武蔵が五輪書を書いたと証明できるものがないため、宮本武蔵の死後に弟子が創作したという説もあります。
五輪書という書名の由来は密教の五輪からきたもので、「地・水・火・風・空」の五巻に分かれます。
地の巻では自らの流を二天一流と名付けたことやこれまでの生涯などが書かれ、まっすぐな道を地面に書くということから地の巻とされており、
水の巻では二天一流での心の持ち方や太刀の構えなど剣術に関することが書かれ、二天一流の水を手本とする剣さばきと体さばきを例えて
水の巻とされているなど、五巻にはそれぞれ異なる書き方で書かれています。
故郷である岡山県から遠く離れた熊本の地でなぜ五輪書を記したのか。そんなことを思いながら、訪れてみてはいかがでしょうか。
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