水戸黄門で有名な水戸の地を巡る旅

水戸黄門で有名な水戸の地を巡る旅

水戸市のシンボルともいえる常盤神社の黄門様

水戸市にある「常盤神社(ときわじんじゃ)」は、全国各地の有名な神社に見られる日本神話の神を祀る形式の神社ではありません。江戸時代後期にはその地の「藩祖(はんそ)」――初代の藩主を祀る神社が多く建てられました。この常盤神社もその潮流に従って建てられたものの一つであり、いわば今の水戸市の土台を作った人物を守り神として称えているのです。常盤神社に祀られているのは、テレビドラマですっかりお馴染となった「水戸黄門」の名で知られる「徳川光圀(とくがわ みつくに)」と、市内にある『日本三名園』にも指定される「偕楽園」を築園したことで知られる「徳川斉昭(とくがわ なりあき)」です。それぞれ徳川光圀は第二代の水戸藩藩主であり、徳川斉昭は第九代の藩主です。いずれも厳密には初代藩主を指す藩祖ではありませんが、いずれもこの水戸の地に最も大きな貢献を果たした重要人物であることに変わりはありません。

「水戸黄門」、または「黄門様」と親しみを込めて呼ばれる徳川光圀も、神として祀られるようになった今となってはその名を変えています。神としての彼の名は「高譲味道根之命(たかゆずるうましみちねのみこと)」となっていますので、是非覚えてください。――と言われても、なかなか難しいところですね。同様に、徳川斉昭は「押健男国之御楯命(おしたけおくにのみたてのみこと)」とされています。常盤神社の建立は1873年で、歴代藩主二人の類い稀なる人徳を慕う人々の手で完成に至った、非常にその成り立ちが特殊な神社といえるでしょう。何か国や自治体の取り決めによるのではなく、ひとえに歴代藩主の英雄的な人望が人々を動かした一大事業でした。

水戸黄門って何をした、どんな人?

「水戸黄門」として知られる「徳川光圀公」にテレビドラマで描かれるように全国を渡り歩いたという史実はありませんが、多くの学者を各地に派遣して「大日本史」、つまり歴史書の編纂を行ったことで名を馳せた人物です。「水戸黄門」というこの呼称は実際に当時人々に呼ばれていた愛称ですが、「水戸」は水戸藩主だからわかるものの、この「黄門」がどこから来たのか不思議に思う方もいらっしゃるでしょう。これは古代の中国で宮廷の門が黄色に塗られていたことに由来するとされています。王宮の門の別名として知られていた「黄門」がやがて王宮で働くある役職の名前になり、転じて、その役職と職務が似通っている日本の「中納言」の座に就く人を指す呼称となりました。ゆえに、正確には「水戸黄門」という呼称は水戸藩の中納言の役職に就くすべての人物に当てはまります。徳川光圀は民衆に多大な支持を受ける人徳を備えた名君であったため、72歳でその天寿を全うした際には、江戸じゅうが嘆き悲しんだと伝えられています。

「徳川斉昭」は「偕楽園(かいらくえん)」の主として有名ですが、やはり彼もまた「徳川光圀」と肩を並べるほどの人望を有した人物でした。偕楽園も大名庭園としては異例なことに、領民に解放し、自由に入れるようになっていました。「偕楽園」の名が人々と「偕(とも)」に楽しむというコンセプトから来ているということで、彼がいかに領民想いの大らかな人物だったかがうかがえます

訪問、水戸黄門ゆかりの地

「西山荘」は水戸市の見川にある史跡です。水戸の藩主を退き江戸城で暮らしていた水戸黄門――徳川光圀がその晩年を過ごすために移り住んだ西山荘は、彼の亡き後も光圀公の遺徳を慕い続ける歴代の藩主によって丁重に守られてきました。一度は火災により焼失してしまいましたが、やや規模を狭めて復旧され、以来その美しい日本家屋と庭園はこんにちまで保持されてきました。光圀公は晩年の十年間、この西山壮に実に多くの領民たちを招き、招かずとも自然に人が集まり、趣味に親しみ、静かに余生を送りました。

別名「西山御殿」とも呼ばれるこの建物と庭園は、華美な装飾を嫌った光圀公の人柄がよくうかがえる、水戸黄門ファンにとっては茨城観光に際して外せない名所の一つとなるでしょう。現在茨城県の史跡に指定されている西山壮には当時を思わせる品々が数多く展示されています。入場料は大人が780円。子供が580円です。

ところで、徳川光圀の行った代表的な偉業が「大日本史」の編纂に着手したことですが、その壮大な歴史書は光圀一代ではとても完成させられるものではなかったため、その死後も多くの人々によって引き継がれ、およそ250年という長い歳月を費やして1906年の完成と相成っています。西山荘で暮らした晩年の光圀と領民の触れ合いが、今に至るまで語り継がれる彼の人望を形成したと思われますが、その人徳の土台に、歴史書の編纂という仕事が強く関わっていたと考えられています。詳細な情報を記すことにこだわった光圀は歴史上の多くの人物に触れ、その人生を批判し、自らの心の栄養とすることができたのではないでしょうか。歴史を学ぶこと養われる深い知恵は、彼の偉業とともに今でも我々に多大な恩恵をもたらしています。

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